【黒い過去】妻が子宮がん検診にひっかかり、全摘手術。俺は妻を支えようと尽くした。だがいつまで経ってもグチグチ言う妻。そんな妻に愛想つきてしまった俺。ついに離婚を切り出した…

一度目の結婚、俺は24で元妻(以下“元”省略)は29、5つ年上だった。
が、妻は背がちっこくて可愛くて、誰が見ても年上女房には見られなかった。
2年目、仕事から帰ると妻が泣きはらした目で産婦人科に行ってきたことを話した。
子宮がん検診に引っかかって、全摘を勧められたらしい。
子宮を取ってしまったら妊娠は望めなくなる。だけど摘出するなら早い方がいいそうだ。
不思議なぐらい迷いは無かった。
早い方がいいと医者が言うぐらいだから、迷ってるヒマはない状態なんだろうなと思ったし。
そりゃあ子供は欲しかった。だけど妻の命に代えられない。

そして手術を受けた。
「鎹なんかなくたって、俺たち大丈夫だよ」本心からそう言った。
この時は本当にそう思ってたし、妻を愛していた。
だけど妻の方がなかなか心の整理が出来なかった。
社宅住まいだったので、どうしても回りは同世代が多く、新婚や妊娠中の人、
小さい子供を遊ばせている人が多い。
それを見るのが辛いようだった。

手術のことは妻の希望で社宅の人には話していなかったから
悪意はなくとも踏み込んだ質問をされることも多かったらしい。
「そろそろお子さんは?」と聞かれるたびに
「妊娠できないのに、そんなこと聞かれるのが辛い」と愚痴をこぼした。
どうにか気分転換させないとと思って、多少無理しても本人が望むところに連れて行った。
海外旅行も年2ぐらいでやってた。友達同士の旅行にも行かせた。
本当は子供が出来ない以上、老後の為にも貯金に励まなきゃと焦りもあったが
今はとにかく妻のやりたいようにさせて、ストレスを溜めさせないことが優先だと思った。

が、いつまで経っても
「今日こんなこと言われたー、子供できないのにー」
「今日も言われたー、泣きたいー」「今日もー」と
愚痴を聞かされる。
多分、本人が思ってるほどガッツリ言われたわけじゃないことも
神経質に捉えてクヨクヨしてるようだった。
そういうの全部ひっくるめて支えるつもりで手術同意書にサインしたつもりだったけど
仕事から疲れて帰ってきて度々愚痴られるとどうしていいか分からなくなった。

ある日「もう、開き直っちまえよ。私は私、これが私って」と言ったら
「男には分からない」と泣かれ、その頃から自分の気持ちが少しずつ変わっていった。
その後も変わらず仕事から帰ると愚痴られる。もうたくさんだ。そう思った。
ある時、職場の先輩から生まれた子供の写真を見せられた。
すげー可愛いかった。その赤ちゃんの写真を愛おし気に見る先輩の目を見ていたら
受け入れたはずの子供のいない自分の人生が急に空しくなった。
俺、やっぱり子供欲しいかも。そう思い始めたら妻への気持ちがぐらついてきた。
それからは一気に気持ちが変化していった。
仕事から帰って「ねー聞いてよ。今日も○○の奥さんからこんな酷い事言われてさ。
そんな事言ったって子供出来ないのにー。私だって欲しいのにー」
そんなことを聞かされるのが煩わしくなってきた。
何度言ってきかせても、愚痴る相手が俺しかいないから愚痴ぐらい聞いてくれというスタンス。
手術からもう5年経っていた。

「いい加減にしろ。いつまでメソメソしてんだ。これから何年人生あると思ってんだ」
ついに怒鳴ってしまった。
「酷い、受け止めてくれるって言ったのに、嘘つき」と泣かれた。
俺だって泣きたいよ。受け止めようと努力したんだよ。だけどもう俺だって限界だ。

離婚を切り出してからはアッと言う間だった。
嫁には女の存在を疑われ、実際に調査もしたようだった。
財産分与と言っても結婚生活も短かったし、貯金はそんなになかったから全て渡した。
慰謝料は弁護士には発生しないと言われたが、
無職の30半ばの女を殆ど無一文で離婚するのは気の毒だと、俺の親が200万渡した。
俺からにしなかったのは、後のことを考えて俺有責と思われない為だそうだ。

正式に離婚して2年後、親から勧められた見合いをして再婚した。
昨年2人目が生まれた。
現妻は元妻とは正反対の、年下でぽっちゃり体型で豪快なタイプ。
臨月までガッシュガッシュ家事をこなしていた。
毎日騒がしく過ぎていくが、それが心地いい。

今が幸せだと感じれば感じるほど、時々別れ際の元妻の悲しそうな目を思い出す。

「愛のコメント」

離婚もやむなしでしたね。

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